「あなたのからだは聖霊の宮」第一コリント5:1-13, 6:12-20

 「キリスト者の完全」という名著があります。英国リバイバルに用いられたウエスレーの説教集です。彼はその中で「キリスト者の完全とは、悪しき気質や愛に反するいかなるものも魂の内に残存していないこと。そしてすべての思いと言葉と行動が純粋な愛によって支配されていること」だと語ります。宗教改革者ルターは信仰義認を語りましたが、それはともすると、すべてが赦されるのならばと罪に寛容になります。人間しょうがない。そうでしょうか?また一方できよさを求め、それを誇るなら、それもまた逆の極端です。

 コリントの教会には数々の罪がありました。その一つが不品行です。豊かな繁栄の町コリントは、歌舞伎町、すすきのと名前の付くような歓楽の町でもあります。その中から救われたクリスチャンも影響を色濃く受けています。赦され、自由を与えられた私たちですが、その中で、結婚・性において求められていることは最も身近な人を愛すことです。

 イエスの弟子たちは、自分の好き勝手にできない結婚ならしないほうがましだと言います(マタイ19章)。自分中心の罪の姿です。一方ペテロは「自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい」と勧めます(1ペテロ3:7)。

 7章には、夫婦の権利と義務という勧めがでてきますが、それは「わたしのものはあなたのもの、あなたのものはわたしのもの」という一体になる麗しい関係です。それは三位一体の神の御姿。一つとなる麗しい交わりをして神の栄光を現すように招かれているのです。そればかりではありません。多くの罪の影響、誘いの中にあって、代価を払って買い取られた聖霊の宮であることをわきまえ、きよさを求め、御栄えを喜びましょう。

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