「いのちの木への道」創世記3章、李宣教師

 この箇所にある「取って食べた」という簡単な行動で人は罪に陥って、死に至る道を歩み始めた。ヘビは人に罪を犯させるため、神様の言葉、権威、力をはじめ、愛、恵み、知恵、きよさなどの性質を疑わせ、人に自分が神様と同等になれると思わせた。人はヘビの誘惑によって、みことばを無視し、戒めを軽んじた結果、食べてはいけない実を食べてしまった。実に、アダムとエバをはじめ人は、惑わされ、罪を犯しがちなものだ。

 罪を犯した人間は、神様から隠れようとするようになった。また、アダムは、自分が裸であることを良くないと判断し、神様の知恵と言葉を純粋に受け入れることも、従うこともしなくなった。さらに、罪に陥った結果、人間同士の信頼関係が崩壊し、また、誠実に自分を受け入れることもできなくなった。結局、人は園から追放され、死、邪悪、苦しみなどに満ちた、神様から離れる世界に暮らさなければならなくなった。

 人間は命の木への道が閉じられたため、命の木から食べることできなくなったが、神様は人間が改めて命の木から食べるように、イエスによる救いの道を用意して下さった。神様は罪を犯したアダムに呼びかけ、罪を告白する機会を与えて下さった。また、イエスの十字架の御業によって、罪の結果を無効にさせ、死を打ち破ってくださった。

 人間ができなかった神様への従順をイエスが十字架の上で成し遂げてくださったからこそ、人間は神様に仕え、従うことも、御前で永遠に生きることもできるようになった。

 食べてはならない実を取って食べた人間は、神の子であるイエスの身によっていのちを得る。取って食べたことによって閉じられた命の木への道は、イエスご自身を取って食べることによって開かれるのだ。