「お金で買えないもの」使徒8:14-25

 「原発マネー」ということばの意味がどれだけわかっているでしょうか。高度経済成長期、その成長から取り残された貧しい農漁村が舞台となりました。様々な人の動機が色・欲・カネと言われますが、それは共通して「思い通りにことを動かしたい欲望・願望」の現れです。
 ここにサマリヤの町に聖霊が下った話しがでてきます。旧約時代、聖霊の働きはごくわずかです。約束の救い主イエス様の生涯を通して神はご自身を表されました。そして今、いままで見たことも聞いたこともなかった聖霊ご自身を知るためのしるしとして、ペンテコステ、サマリヤで、またこの後異邦人コルネリオたちにと表れてくださったのです。
 それを見たシモンはこれをお金で買おうとします。いままでサマリヤの町を魔術で支配していたからです。その汚れた願望は、よくよく考えてみると自分自身がそのまま、ありのまま受け入れられているという根底の欠如が生み出していることではないでしょうか。それが優越感・劣等感を生み、自分にない力を手に入れたいと願うからです。1コリント12章には賜物を誇る人たちへの警告が語られています。賜物、それは与えられ奉仕するためのものですが、自分を満たすための道具になりがちなのです。だから、パウロはそれはあくまで奉仕のために分け与えられた賜物だ。より優れた賜物で奉仕するようにと進めます。そして、さらにまさる道「愛」をもって歩もうではないかと呼びかけるのです。
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