「この方のところにさえ行けば」マルコ2:1-12

 中風という病気、それはからだの麻痺、脳出血や脳梗塞などの病気のゆえでしょう。その人のいやし。この箇所が問いかけることの中心は「罪の赦し」、そして、もう一つは「自由」です。それをキーワードに神の語りかけを聞きたいのです。

 中風のために寝たきりであったこの人、それはどのようなことでしょう。作家の三浦綾子さんは満7年の間、脊椎カリエスという病のためにギブスベットに寝たきりでした。その彼女が言うのです。「肉体の不自由なことは、人間として断じて恥ずべき事ではない。人間として恥ずべき不自由はほかにある。」それは罪の奴隷という不自由です。

 この人がイエスのもとに連れて来られた。それも屋根をはがして吊り降ろすことまでするのは、「この方のところにさえ行けばいやされる」という信仰あってのことです。ところが、イエスが宣言したのは罪の赦しです。律法学者たちの心、それを見抜いて行われたわざは、人にとっての最も大きな問題、罪の問題と赦しに読者の注意を向けさせます。

 罪、それは創世記の堕落に溯ります。罪の始まり、それは神から離れ、「思い通り」を自ら選んだこと、そこから始まります。結果として人は罪の奴隷になり、それに支配されます。「思い通り」、それは一見自由に見えます。ところが、それがゆえの断絶や悩み。もがいてももがいても解決できないのです。そして、その原因すらわからない。神から離れてい罪の奴隷になっているのが私たちの現実です。

 「真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)のことば、「この方のところにさえ行けば」「子よ。あなたの罪は赦された」と言って下さるのです。そして、新しい命を喜び生きるよう招かれているのです。