「すべてのことが益とされる」ローマ8:26-37

 「あしあと」という詩はよく知られ、多くの人の励ましとなってきました。「わたしは、あなたを決して捨てたりはしない。まして苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」人生の困難は必ずやってきますが、「すべてのことが益とされる」とはどういうことでしょうか。
 「神のご計画にしたがって召された人たちのためには」です。神は私たちにご計画を持っておられます。それは、私たちを召し、つまり、救いに導き、義と認め(義認)、栄光をお与えになる(栄化)というご計画です。つまり、神がうまくことを運んでくださるから、きっとうまくということでなく、よかった悪かった、プラスマイナスしてどうだとか、そんな私たちの基準をはるかに超えて、恵みによって、すべてを受け入れ、感謝と喜びに変えてくださるということなのです。
 その恵みを受け取るには「神を愛する人々のためには」という条件があります。神が人に求めておられるのは「神を愛すること」、それは、神のみこころにお従いすることです。最後の晩餐でイエス様は栄光を現すことを祈りました。その栄光とは「世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光」、完全な愛と一致です。さらに、ゲッセマネの園では自分を捨てて愛を全うするための祈りをします。その足跡に従うことが求められているのです。
 その道は決してたやすいものではありません。「しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です」のことばは何と力強く響くことでしょう。主は罪に打ち勝ち、死に打ち勝ち、よみがえって勝利したお方!このお方が、先の「あしあと」の詩のように、私たちを背負って歩んでくださる。そのお方がすべてのことをともに働かせて益としてくださるのです。その御前に私たちはどんなに困難があろうとも委ねる平安と感謝に導かれるのです。