「よみがえりの希望」ヨハネ20:19-31

 人間にとって最も大きな問題は罪と死です。死には3つの恐れがつきまといます。 第一にすべてを失う不安です。人は築き上げたもので身を飾っています。その覆いがなくなり裸になる恐れです。第二はたった一人になる孤独です。最期は誰もが一人向かわなければなりません。第三はその先がわからないという不安です。それらすべてに勝利したのがイエスのよみがえりです。

 復活の朝、香油を塗りに行ったマグダラのマリヤと他のマリヤは空の墓を見つけます。彼女たちは遺体が盗まれたと思い、すぐに弟子たちに知らせ、ペテロとヨハネが墓に走りました。果たして彼らもそれを見、途方に暮れて家に帰ります。墓に残ったマリヤに主イエス様は現れ、再び弟子たちに知らせますが誰一人信じません。今度はその夕方に今度は弟子たちに姿を現されました。そこに居合わせなかったのがトマスです。自分で見るまで決して信じないと言うのです。

 彼はラザロが死に、そこへ行くとイエスが言ったとき、「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか」と言いました。 死ぬ覚悟でイエスがことを起こしてくださると期待したのです。最後の晩餐の席では「私の父の家に住まいを用意する」と仰るイエスに、「どこへいらっしゃるのか、私たちに はわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう」と言います。彼にはどうしても目に見えることしか信じることができなかったのです。それは神を信じない人の性質です。

 そのトマスにもイエスは現れてくださいました。それは、疑いなど吹き飛ばしてよみがえった事実を私たちに伝えています。さらに「見ずに信じる者は幸い」だとイエスは言われます。よみがえりがすべてに勝利して、恐れは希望に変えられたのです。

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