「キリストのからだは一つ」エペソ4:1-6

 教会とは何か?ひと言で言い表すなら、それはキリストのからだです。また神の家族です。しかもその家族は血縁・地縁によるのではなく、そこに加えられたのは恵みによることです。このことを理解するならば、私たちの問題のほとんどは解決に向かいます。人の問題の多くは「不公平だ!面白くない」という怒りです。最初の人カインとアベルもそうでした。初代教会の最初の問題は食べ物の不満でした。思えばちっぽけなこと。しかしそれで人は争うのです。

 からだとして一つとなること、それは永遠から永遠まで愛によって一つである三位一体の神にかたちに作られた人間の回復です。伝道4:9~には「ふたりはひとりよりもまさっている…」と人が共に生きる幸いを教えています。人にとって、最も不幸せなことはひとりぼっちでいることです。最も幸せなことは一つになり、分かち合って生きることです。

 一方、人が一つになるのは容易なことではありません。人が集まるところ主(ぬし)が現れます。自分の思い通りにことを運ばせたい、主導権を握りたいと思うのです。教会とて例外ではありません。だからこそパウロはここで一致の基について一つ、一つ…と書き連ねていくのです。私たちの一致の土台は常に主をかしらとするところから来るのです。

 イエスご自身も「あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません」(マタイ23:11)と教えられました。洗足の後、「あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです」(ヨハネ13:14)と模範を示し、ここエペソ4章では、「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい」と勧めるのです。キリストのからだとして一つにされた恵みを喜び、互いにへりくだって仕え合う愛を喜びましょう。

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