「チャンスは何度でも」使徒15:30-16:5

 パウロとバルナバは、第一回伝道旅行で始まった諸教会を訪問することを計画します。しかし、マルコを連れて行くか行かないかということで激しい反目になります。マルコの母マリヤの家はエルサレムで教会に用いられる大きな家でした。使徒や弟子たちとの交わりの中で育てられ、いとこであるバルナバの誘いによって、働きに加わったのです。

 そのマルコは伝道旅行の途中で帰ってしまいました。迫害や働きの困難さのゆえでしょうか。パウロはそれを落伍者と見なしたのです。ガラテヤの町々では石打ちで半殺しにされるような迫害もありました。バルナバは「慰めの子」迫害者サウロが劇的な回心をした後、警戒する弟子たちにとりなしたのも彼でした。なんとか、マルコを励まし同労者として加えようとしたのでしょう。

 結果、彼らは別行動をとることになりました。もの別れに終わったのでしょうか。いいえ、「兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した」とあります。今、すべてがわだかまりも何も消え去ったわけではないかもしれません。マルコのことはバルナバに任せたという結論を交わりの中でともに受けとったということでしょう。

 後に2テモテ4章では、コリントからマルコをぜひ連れてくるように。彼は役立つからとテモテに頼んだり、コロサイ4章では、軟禁状態にいたローマでマルコも一緒に囚人になっていると記録されています。そう、後になくてはならない用いられる器にされていくのです。そのためのチャンスを励ましたのがバルナバでした。私たちもダメ出しをし、レッテルを貼るようなことをしてしまいます。しかし、たとえ自分にできなくても、主の恵みにゆだねて何度でもチャンスを期待することを主にあってしようではありませんか。

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