「一番大切なこと」ルカ10:25-37

 大人になったら何になる?という質問をすると、子どもは職業を思い浮かべ、夢を話します。でも、もっと大切なことは永遠に関わること、永遠に価値あるものです。この箇所では、それを求めた律法学者が律法には何と書いてあるかと問われ、神を愛し、隣人を愛することだと答えます。

 愛するということば、それは、様々な意味に使います。第一はギリシャ語ではストロゲー、情けの愛です。情で動きます。愛情、同情、情熱。一方でそれは心動かないこともあり、かんたんに薄情になるのです。第二はフィレオー、友愛、友情です。それは基本的にギブアンドテイク。どこかで見返りを求める思いが隠れています。バランスを崩すともろくも消えます。第三はエロス、男女の愛に用いられますが、もともと価値あるものを愛する愛です。熱しやすく冷めやすい性質をもっています。私たちは、エロスの愛によって、この世に誕生し、愛情の愛を受けて育ち、友情という愛に生き甲斐を得る。どれも人生になくてはならないものです。

 一方、聖書が求めるのはこれらでは言い表せない。徹底して条件なく自分を捨てて与える愛です。だから新しい語、アガペーを当てました。ここによきサマリヤ人のたとえ話がでてきますが、これはイエス様の十字架の愛を表すものです。

 私たちはなかなか自分を捨てることができません。「いそぎ、いばり、いじけ」たりします。イエス様にとって、ゲッセマネの園で祈った祈りが自分を捨てる祈りでした。それこそ愛する源です。「願わくはこの杯をとりのけてください。しかし、私の願うようにではなく、あなたのみこころのままをなさってください。」その祈りで愛を選びとりました。それこそ永遠に価値あるものなのです。