「三位一体の生ける神」マルコ14:32-42

 三位一体の教理。それを告白することは、私たちの日々の信仰生活と結びついていなければ意味がありません。先に創世記1章の人の創造の箇所を読んでいただきましょう。ここには人が神のかたちに造られたと記されています。それを理解するならもっと神は身近になるに違いありません。

 神のかたち、その三位の位は位格、人ならば人格です。その意味するところは自ら考え、自ら決め、自ら行動する主体です。人は誰しも神に似せてそう造られているのです。それが尊重されるときに人は喜んで生きることができますが、それが尊重されないと生きる力を失い、傷や闇を追います。

 それでいて一つであるということは、愛によって結ばれているということです。C.S.ルイスは、「私たちは、エロスの愛によってこの世に生まれ、愛情の愛を受けて育ち、友情という愛に生き甲斐を見いだす」と語りました。しかしながら、その愛にはどれも限りがあります。ですから、聖書の中の愛ということばは、ギリシャ語で区別するためにアガペーということばを使っています。

 それが最もはっきりとことばで現れているのがこのゲッセマネの祈りです。「できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」という祈り。それは、自分の願いではなく、あなたのみこころを選び取る戦いです。そして最終的に自ら意思をもって決断するのです。それこそが愛です。

 神は永遠から永遠にそのように自らを捨てる愛で結ばれているお方です。三位一体であることを告白するとき、それは私も同じ愛をもって神の愛の素晴らしさを表させてくださいという告白なのです。

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