「世の終わりのとき」黙示録20:1-15

 私たちの世界には、どうしてこんなことが起こるんだろうか、どうしてこんなことが許されるのだろうか、善を行い、誠実に生きようとする者が苦しまなければならないのか。不公平ではないか。天災ならば受け入れざるを得ないにしても、人災ならば何で責任を放棄したのか、何でそんな判断をしたのか、人を責めることでしかやり場のない思いをぶつけたりもします。

 人には二つの究極的な問いがあります。一つは私たちのゴールがどこにあるのかという問い。もう一つは、私たちのいのちに意味があるのだろうかという問い。悩みと苦しみだけのいのちなのだろうか。伝道者の書は「空の空、すべては空」と言います。どんなに地上で栄えても、多くを手に入れたとしたも、同じ結末だったら、せめて好き放題、心の欲するまま生きればいいと。しかし、それもまたむなしいものです。

 黙示録は世の終わりを私たちに告げます。それは神の裁きの時です。千年王国~その解釈はいくつかありますが~に続いて白い御座の裁きです。その時、すべての悪、神に逆らう悪魔、サタンの力がみな裁かれます。生きている者も、死んだ者も、すべてが神の御前に引き出されて裁かれるのです。世界の総決算、すべてのことについて、神が白黒はっきりと裁くときです。決して、やみがやみのままでいることなどないのです。

 ローマ8章は、今はうめきの中にあっても「将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りない」と言います。その時、キリストの恵みによっていのちの書に名の記されて者たちは、すべてを赦され、永遠の裁きにあうことなく、いのちに定められるからです。主が約束くださっている勝利の時、それは私たちの希望、慰めです。

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