「再臨の約束」使徒1:8-11


 クリスマスやイースター、ペンテコステ、降誕、復活、聖霊降臨に比べて昇天・再臨を意識することはあまり多くないかもしれません。教会歴の中では昇天日や公現日、受難週などをしてイエスのみわざを一つ一つ生活の中に溶け込む工夫もなされてきました。ここで昇天と再臨の意味を確認しましょう。
 主イエス様は昇天され、今も天におられます。それは次のような意味を持っています。第一に主は天で私たちのためにとりなしをしてくださっています。ですからいつでもどこでででも祈りを聞いていてくださるのです。第二に私たちの先駆けとして、天におられます。主がよみがえって天におられることは、私たちがそこに迎えられる確かな保障です。第三に主は御霊を助け主として与えて、私たちの歩みを導いてくださっています。
 一方で私たちの生きるこの世は私たちの心を痛めるものに満ちています。麦と毒麦が入り交じり、芽を出したかに見えた種が枯れたり、世の欲にふさがれたり、からし種のように小さく影響力がないように思えたりと、私たちには投げ出したくなるようなことが次から次へと起こるのです。
 再臨は、主が再び来られて私たちを救ってくださる勝利と慰めの希望です。初代教会の中にも教会史の中にもその希望のみを待ち望んで、この世にあってはなげやりな歩みをした者もありました。今私たちには、天での希望を確信しながらその時が来るまで、この地上でなすべきことを主が委ねて下さっているのです。かたちは違えど「メモント・モリ」死を覚えよとこの世での限られた歩みの中での使命を覚えた人たちのように、私たちも主の勝利と慰めを信じつつ、今、ここに委ねられた地上での使命を忠実に果たす者となろうではありませんか。