「召されたこと選ばれたことを確かに」2ペテロ1:4-11

 恵みによって救われた者たちの歩みは「神のご性質にあずかる者になる」という聖化に招かれています。私たちは、どこから救われて、どこに向かい、今、どこを走っているのか、広い視点で見渡し、それを常に覚えていなければ、目先のことしか考えられなくなります。ペテロはそれを「近視眼であり、盲目」だと言います。

 その目指すところ、それはイエスに従う、イエスに倣うことです。ここに書かれたことはことばとしては分かりますが、内実伴うものとする理解は簡単ではありません。それが実際に起こったエピソードをしてはじめて理解できる。そういうものです。

 信仰、それは湖の上をあるいたペテロの経験。歩けるはずもない水の上をペテロは歩きます。しかし、風を見て恐くなり、沈みかけます。沈みかけた彼に、イエスはすぐに手を伸ばして、つかんでくださいました。信仰、それは私たちの強さではなく、神の恵みにただただ委ねることです。

 徳。それは善き行い。前書の3章では「悪をもって悪に報いず」と彼は教えました。世の原理は報復であり損得勘定です。しかし、主にあっては周りに祝福をもたらす器として立たされているのが私たちです。

 さらに、知識、忍耐、自制、敬虔、兄弟愛、愛と続きます。それら一つ一つをして、私たちは聖化され、神の御栄えをあらわすのです。それこそが私たちの「召されたこと選ばれたことを確かにする」歩みに他なりません。永遠の御国に入る恵み、それはこの世の命を終えるときではありません。今、すでにいただいているこの恵みを生きること。それはこのイエスの恵みから目を離さないことです。一つ一つの恵みを確かにする歩みを日々の中で献げ、恵みにこたえましょう。