「小羊の救い」黙示録7:9-17

 白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立つ人たち。私たちの心のシミ、罪や汚れ、傷や痛みはなんと消しがたく、なんと癒やしがたいことでしょうか。ところが、イエス様の十字架の血潮によって私たちの罪は洗われ、白くされたのです。そのイエスが与えてくださる恵みについて、17節のみことばから3つのことを覚えましょう。

 第一に牧者となってくださる。私たち人間は、本来、神であるお方のもとでしか生きられないはずです。迷い出た羊と同じです。小羊が、牧者となってくださる。本来、牧者であられるお方が、小羊となって私たちの間に住まわれ、十字架の死をもって贖いとなってくださった。そして、今や私たちの牧者となってくださった。「よい牧者」なのです。

 第二にいのちの水の泉に導いてくださいます。私たち人間は残念ながら自分が受けたようにしか与えることができません。ときに自分でどうにかしようとして、渇ききってしまうのです。しかし、小羊の恵みは流れ流れてあふれ出るいのちの水です。決して涸れることがありません。

 第三に私たちの目の涙をぬぐい取ってくださいます。小羊の血で洗って白くした人たち、この人たちは「大きな患難から抜け出て来た者たち」です。私たちには内にも外にも大きな戦いがあり、それがゆえに涙することがあるのです。また、国と国、部族と部族、民族と民族が争いあってきたのが地上のいのちです。言葉や思いが通じない傷に私たちは涙しているのです。ところが、このとき、それら一切をぬぐい取って、ともに主の御前に立つことができるとは、なんという光栄でしょう。すべてを吹き飛ばしてしまう恵みが溢れる場に呼ばれるのです。この恵みを与えるため、主は来てくださったのです。