「幼子のために祈れ」哀歌2:19(矢吹博師)

 私たちの国は今、猛烈なスピードで高齢化が進んでいます。約1億2千万人の人口が50年後には8600万人、戦後の人口と同じ。しかも人口構成は逆ピラミッドです。教会の20年後、50年後にはどうなっているでしょうか。子どもたちのために、親、キリスト者、教会が神さまから何を求めてられているのか、3つのキーワードでともに考えたいのです。
 まず、「子どもたちのために祈れ」。哀歌はエルサレムにはバビロンによってエルサレムが滅ぼされたときの子どもたちの哀れな姿を描いています。私たちの国、豊かになれば解決し、幸せになれると思ってきました。しかし、哀歌の時代と同じように飢え、渇き、衰え果てているのです。人間の存在に関わる霊的な飢餓状態です。教会はどのように答えるでしょうか。そのことを問われています。
 第二に「子どもたちを私のところに来させなさい」マルコ10:13-16。親が子どもたちをイエスのところに連れてきましたが、弟子たちはそれを妨げました。いつの時代も子どもは軽くあしらわれてきました。でも、そうでしょうか。イエスの見方はそれと正反対です。子どもだからわからない。こどもだから疑わしい。そうではなく、子どもこそ神の国にふさわしいのです。あなたのうちにそういう思いが潜んではいないでしょうか。
 第三に「子どもたちに教えなさい」申命記6:4-9。イスラエルにとって教育とは神のことばを教え込むことでした。教育熱心な世相です。しかしみことばを教えることはどうででしょう。神を知ることが最も安全な道であるのです。このことに心を注ぐ必要があるのです。子どもたちに教え込む命令は親たちになのです。そして教会はそれをバックアップするように招かれています。ともに子どもたちのために働こうではありませんか。
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