「御国の拡大」マタイ6:9-10

 御国が来ますように。その祈りは、主イエスのご支配の拡がりを願う祈りであり、宣教の前進のための祈りです。イエス様は神の国とはからし種のようなものであり、またパン種のようなものだと教えられました。ほんのわずかなものが大きく拡がるのです。

 第一に、世は創造から始まり、堕罪によって神の敵となりましたが、十字架と復活の救いをいただきました。一方、終末の狭間を生きる私たちは世の王国の栄枯盛衰に翻弄されています。主が再び来られるとき、死も涙も悲しみも、叫びも苦しみもすべて過ぎ去ります。その希望を待ち望むのがこの祈りです。

 第二に、私たちの内側に神の支配に明け渡し、聖化に向かうことを願う祈りです。ガラテヤ5章には肉の歩みと御霊に従う生き方という二つが対比されています。依然、私たちの内側には肉ということばが指し示すように罪を誘う弱さや欠け、悪しき思いがわき起こります。一方で御霊は私たちに導きをくださり、神のご支配に従うようにとみことばを思い起こさせて下さっています。古い肉に従う生き方を捨て、御霊に従うことを求める祈りがこの祈りです。

 第三に、世に福音が満たされる宣教のための祈りです。パウロはエペソ6章で「福音の奥義を大胆に知らせることができるように祈って下さい」と呼びかけています。パウロの宣教はより多くの人に福音を届けることから始まり、愛の奉仕のためにエルサレムで捕らえられることへと進みます。彼にとっての御国が来ますようにとは、福音を広めることと聖徒たちが福音の奥義、深み、愛が満ちあふれることを願うことでした。

 いつも口にするこの祈り、私たちが願うべきその内容をもう一度吟味し、祈りを豊かにしようではありませんか。