「御翼の下に」ルツ2:8-13

 ユダに帰って来たナオミ、一方、ルツにとっては見知らずの地です。そこで落ち穂拾いに出ます。生きる術のない二人にとって、これしか方法がありません。しかも、彼女はナオミより先に「畑に行かせてください…」と自ら行動します。自立した人は指示待ちではなく、自ら行動します。自立のしるしは自由です。人の目を気にしてでもない、強いられてでもない、自らの責任で行動します。
 そのように生きることを支えるのは信仰です。自分の力だけでどうにかしようとしても辛いだけです。ルツもそうです。夫に先立たれ、一家に男手を失い、おそらく年老いた姑を支えるために自分が立ち上がらなければならない。御翼の下、それは母鳥が巣の中で、ひなを守り、餌を運んで必要を備えるように、どんなことがあって神が保護を与えてくださるという信仰です。
 そこに畑の持ち主ボアズがルツに目を留めるのです。キーワードは「親切」です。並々ならぬ親切です。私が惨めだからって哀れまないでください。自分でできます。なんて言ったらことは終わりです。感謝して親切を受けるすがすがしさがここにあります。そしてボアズはその理由をこう説明します。その「親切」は神の報いであると。
 このボアズの行動、「親切」は神の愛を表しています。「親切」という言葉、ガラテヤ5章に出てくるの「御霊の実」の一つです。神の御霊が私たちを導いて与えてくださるものです。この分断された世界で、主の恵みを受けた者は、よき通りよき管として遣わされているのです。そして、ともに神の恵みを喜ぶように置かれているのです。私たちもそのような恵みの器としてともに神の愛を喜び、どんなに暗い場所であったとして、神が御翼の下に守り、道を開いてくださることを信じ、恵みを分かち合い、「親切」の実を結ぶ歩みをおささげしようではありませんか。