「心の一新によって」ローマ12:1-2、三浦春寿宣教師

 クリスチャンの具体的な生き方について、その第一は自分自身を「神に受け入れられる聖い生きた供え物としてささげること」、第二は「心の一新によって自分を変える」ことが教えられています。ことばは簡単ですが、私たちは律法的になりやすく、できる人は誇り、できない人をさばいたりと窮屈になったり、交わりを壊したりします。ですからパウロは「神のあわれみのゆえに」と言います。つまり、神の恵みを受けて救われたあなた方であるゆえに義務に生きるのではなく、神から与えられた意味と目的を知りながら、心から感謝と喜びをもってお従いするのです。
 ささげるとは、キリストのために生きること、神の栄光、神の臨在を表すことです。聖いということばは、分けるという意味があります。私たち自身がキリストを信じる信仰のゆえに、分けられた者、聖なる者とされたのです。ですから、私たちも分けて献げるのです。余裕ができたら献げる。時間ができたら献げる。そんなことはできません。まず取り分けて献げる。それが霊的礼拝なのです。
 この世はどこまでも自分中心です。それが心の一新によってと言われるとき、それは神の前に徹底的に心砕かれ、へりくだって歩むことです。聖書の人物はみなそうでした。しかもそれは、継続して何度も何度も、繰り返し繰り返し、神の前に悔い改め続けることです。悔い改めた人は、こんな私も救われたのだからと他者に対する思いも変わります。
 また、人の前で話すことは期待はずれに終わることがしばしばです。そしてその度に傷ついたり落胆します。しかし、主に話すことは決して裏切られることはありません。主の御前に大胆に悔い改めと祈りをもって、日々造り変えられ、感謝と喜びをもって生きようではありませんか。
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