「心の目を開くなら」ヨハネ9:1-15

  人は生まれを選ぶことができません。いくら憎んでも変えることもできません。生まれつきの盲人。彼もまたそうでした。人はそこに不幸の犯人捜しを始めます。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」

 その闇に覆われていたところに光が差し込みます。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」闇の中、それは人が神から離れた罪のなわめという闇。そこには希望はありません。一方、イエスは言います。「わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」光は闇を照らし出します。隠れているものを明るみに出します。そして、神であるイエスとともに光の中に生きる者とされるのです。

 その光へ、この盲人も招かれます。『地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。「行って、シロアムの池で洗いなさい。」イエスの言われたままを信じるということが問われているのです。それは、なんと難しいことでしょうか。しかし、それを信じた盲人は見えるようになりました。周りの人には受け入れがたいことでしたが、彼はただ信じ、ただ見えるようになった。そのことを喜ぶのです。

 クリスマスの恵み、神が私たちに与えてくださった救いの恵みも同じです。主イエスの十字架、それを信じるだけで私たちの罪は贖われるのです。主イエスが心の目を開いて、神の恵みを見せてくださるなら、過去を責めることからも、後悔することからも解放されて、ただ、神のわざを喜ぶ光の世界に入れられるのです。それこそ、私たちに与えられたクリスマスの恵みなのです。