「愛はいつもそれ以上」マタイ5:38-42

 右の頬だけではなく左の頬もと徹底して赦すことを教えられた私たち。それは内なる獣に従うことではなく、御霊の導くイエスの足跡に従う歩みへの招きですが、さらに一歩進んだ教えを学びましょう。

 「下着を取ろうとする者に上着も与えなさい」という教え。ここで想定されているのは「告訴」され、まさに身ぐるみ剥ごうとされるような場合のことです。イエスが告訴されたカヤパの官邸でどうしたでしょうか。「悪いなら証拠を示せ」と言われます。パウロがピリピで不当に捕らえられたとき、町の長官にわびを入れさせた話がでてきます。イエスが求めるのは公義。一方で私たちが思うのは侮辱や虐げ。イエスが問うているのは「罪を憎んで人を憎まず」ということです。徹底した赦しと結びついて問われているのです。

 さらに進んで二ミリオン問題。イエスの時代、例えば十字架をかつがされたクレネ人シモンのように支配国ローマの役人・兵士は民衆を徴用することができたのです。私たちは「言われたことをやりました。これでいいでしょ。文句ありますか」といやいやながらことをするようなことがあります。イエスはそれ以上をするように命じるのです。ここでも問われるのは心の中の問題。何をするのかしないのかということではないのです。

 そして、求める者には与え…それは、私のものだと握りしめるな。すべては神からの賜りものであり、主が預けてくださったもの。だから喜んで献げる。喜んで与える。そのような生き方が主がここで求めておられることです。それは私たちが愛に生きることです。そして愛はいつも求められること以上です。イエスが与えてくださったのもすべてそれ以上。命さえも惜しまずにお与えくださった。その足跡に従おうではありませんか。