「捨て去るべきもの」コロサイ3:1-10

「師父ポイメンが師父ピオールについて語ったところでは、彼は毎日をまっさらに新しく始めていた。」荒野で修道生活をした4,5世紀の教父のことばです。この箇所、「こういうわけで」と始まっています。大切なのはこの前で語られていること、義認です。十字架によって、罪と死に支配されていたものが勝利した。だから、自分の罪を告白して、それをキリストにすべて明け渡すことです。

 義と認められた者たちの新しい生き方、それが「上にあるものを求めなさい」であり、「天にあるものを思いなさい」。それを一言で言い表すなら「聖化」です。荒野の隠者たち、その中でアントニウスは、人にとって押さえることが難しい8つの誘惑というものを残しています。食欲、情欲、貪欲、不満足、怒り、落胆、虚栄心、プライドと続き、私たちはそれらと無関係ではいられません。その私たちの渇きをなんとか埋め合わせようとするのが偶像礼拝です。

 もう一つ、「怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい」と言われています。これは感情に支配されて生きる姿です。私たちはもはや、地上のもの、からだとたましいの求めるものを捨て去り、天にあるものを求めるようにと招かれているのです。

 パウロはさらに、キリストの現れの日、私たちが地上のものから解き放たれて天に迎えられる日のことに私たちの注意を向けます。「栄化」です。すでに地上のものに死んだ。私たちにとって本当に価値あるもの、それはキリストにある栄光のときです。古い人を捨て去り続け、御霊に明け渡して聖い者に造り変えられる歩みをともに歩もうではありませんか。そのために、毎日まっさらな心で始めようではありませんか。