「救いは神から」イザヤ11章

 新しい年が始まり、日々まっさらに新しく始めたい、そう願うところです。昨年、私たちは大震災を経験し、本当に大切なものは何か、ゆとりのあるときには覆い隠されているものが露わにされる経験をしました。この年の始めに心に留めたいみことばの一つを読みましょう。
 ここに根株ということばがでてきます。別のことばにすれば切株です。イザヤの時代、イスラエルをさばく預言が語られました。偶像礼拝の罪ゆえです。刻んだ像が問題なのではありません。偶像とはアイドル。自分の欲望、願望が生み出すものです。いのちの基である神から離れた結果、己の欲のために、弱い者、小さな者が虐げられることが繰り返されるのが世です。しかもそれに気が付きません。ノアの時代、神はそれを悔やまれ、残念に思い、断腸の思いで世を滅ぼされました。そしてなお、預言者を送ってさばきの預言とともに悔い改めを迫っておられるのです。
 一方で語られるのは、主の救いの時です。その時、私たちの目にはあり得ないことが起こります。狼と子羊、ひょうと子やぎ・・・主の平和です。創造の世界へ帰る救いです。それはエッサイの根株から生え出る新芽、そしてその若枝が実を結ばせて与えられる平和です。人間のいかなる努力をもってしてもできない真の平和は、神から主イエスを通して来るのです。私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさいという新しい戒めに生きるとき、神から来る平和です。
 それは、遠く散らされた民にも与えられます。今、私たちも真の神にいただいたいのちをもって、神を愛し、隣人を愛し、感謝と喜びをもって新しいいのちを自ら生き、また、この福音を伝えるために、日々新しく神の御前を歩もうではありませんか。
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