「救い主が来られた」ルカ2:1-20

 イエス誕生、それは御使いがマリヤに告げた言葉。思いがけない突然の知らせにマリヤは戸惑います。理解を超えたことばかりですが、彼女はそれを信仰によって受け止めました。ヨセフも同じです。許嫁の妻が身ごもるとは裏切りを意味します。内密に去らせようと決めました。ところが、夢のお告げに彼も信仰をもって受け止めます。彼らは待ったなしに問われ、受け入れました。神の時は待ったなしです。あなたの人生にも同じように神は問うておられることがないでしょうか。

 その誕生、それはベツレヘム。彼らの町ナザレから約140kmという長旅を余儀なくされました。皇帝による徴税のための住民登録です。民族大移動の混乱の中、数限られた宿には泊まれず、家畜小屋の飼い葉桶。人として最も低いところに身を置かれたのです。

 私たちは様々なコンプレックス、また不平不満を持ち人と比較をします。持てる者と持たざる者、できる者とできない者、そもそも生まれ育ちや姿かたち、能力や才能、置かれている場所や立場。せめて分かるのは同じ経験をした人。しかし、イエス様はそれ以上に人から拒絶され、裏切られ、十字架の死にまでもお受けになられました。それは、神であられるすべてを捨てて、私たちを救おうと低いところに降りてきてくださったのです。

 その最初の知らせを受けたのは羊飼いたちです。彼らの日常は過酷なものでした。365日、来る日も来る日も羊の世話です。天幕での遊牧生活、夜番も交代でする生活。その家に生まれたら、その仕事をするのです。誰からも省みられることもなく、最も貧しい、心に留められない存在でした。その彼らに真っ先に救い主誕生の知らせが届いたのです。その救いは十字架の死とよみがえり、それが救いです。「天には栄光、地に平和」それはみこころにかなう人、罪を悔い改めて新しいいのちに生きる人にこそ与えられるのです。