「救い主の誕生」ルカ2:1-20

 赤ちゃんが生まれるということは大変なことです。生まれてくるまで10ヶ月の間、準備をして、期待をもって、ようやく生まれてきます。ところがイエス様のお生まれ、それはベツレヘムの家畜小屋、寝かされたのは飼い葉桶でした。これより低いところで生まれてくる人はいないという場所でした。
 持てる者と持たざる者がいて、できる者とできない者がいる。自分の姿かたち、能力や才能、今置かれている場や立場、それをありのまま受けれるというのは難しいことです。他者であればなおさらのこと、「しょせんあんたにはわからない。」そう言って、周りの人たちの親切を受け入れられないことがあります。同じところに立ちば、同じ経験をした者だけにしか心許すことができないのが人の限りです。イエス様は私たちの悩みや痛み、苦しみや悲しみをとも負ってくださるために、最も低いところから産まれたのです。
 それが最初に届いたのは羊飼いたち。彼らはベツレヘムの家畜小屋にそのしるしである赤ちゃんを捜し当てます。彼らが見、告げられ救いはいつくるのか。羊飼いたちはその時を待ったことでしょう。それから30年。十字架と死を迎え、しかも、その後よみがえったというニュースがユダヤ、イスラエル中を駆け巡ります。彼らは救いの恵みにあずかり、ここの証を証言したことでしょう。
 御使いが告げたことばは「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和が みこころにかなう人々にあるように」でした。みこころにかなうとは、イエス様の救いをいただき、新しい戒め、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)を生きることです。私もみこころにかなって、平和の人に、平和を喜ぶ人に私をお導きくださいとイエス様を迎え祈りましょう。