「教会の使命〜喜び悲しみをともに〜」ローマ12:15

 地震以来、相次ぐニュースに私たちは心を痛め、主の御手の中にあることがわかりながらも、「主よ。なぜですか。主よ。どうしてですか。」と問いかける日が続いています。
 私たちがその中で聞かなければならないみことばがこの一節でしょう。このことばは、前後の文脈を読み取るときにより深い求めがされています。
 ローマ書は11章までに神が私たちにしてくださったことは何かが書かれています。それを代表するのは8章の終わりにある「神の愛」です。一方12章からは神の愛を受けて救いをいただいた者たちがどのように生きるべきかが書かれているのです。
 そのあり方はまず、神の前に自分自身を献げる献身であり、また、キリストのそれぞれの器官として賜物に応じて献げ合う生き方です。あなたが委ねられている賜物となすべき役割は何でしょう。誰しもが同じことをしなくてもよいのです。私たちはときどき、あんなことしてる。あの人はしない。と責め合うことがあります。批判からは何も生まれません。大切なことは、お互いにその賜物をもって仕え合うということなのです。
 そして、その心においてのありようは、「喜ぶ者と一緒に喜び、泣く者と一緒に泣く」のです。これを私たちは肝に銘じるべきです。相手の立場に立って者を考え、相手の思いを理解し、受け止めていく。主は、罪人や取税人、遊女、病人や悪霊につかれた人の友となって、彼らを受け入れました。私たちはこのキリストの心を心として歩むのです。それは常に、聖霊が心の中に住んでくださり、イエスに目を向けることを通してなされるものです。
 あなたの心を、私の心とする思いで隣人に向かう愛を与え給えと祈り進みましょう。
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