「教会の使命II交わりに生きる」使徒2:42

 教会とは何でしょうか?多くの人にとっては建物を指す場合が少なくありません。しかし、教会は何より人です。キリストによって呼び集められた人なのです。人が集まるところには様々な関係が生まれます。この「交わり」とは何を意味するのでしょうか。
 「交わり」は、主に教会でしか使われないいわゆる教会用語です。しかし、その意味するところは非常に曖昧です。暖たかいとか冷たいとか、濃いとか薄いと言われることがあります。食事をすることが交わりと呼ばれたり、おしゃべりが交わりだったりもします。交わりということばはギリシャ語でコイノニアということばが使われています。その意味は共有すること、シェアすることです。喜び悲しみをともにすることです。それは最もローカルな夫婦や親子という切っても切れない関係であっても、グローバルな世界に拡がる交わりであっても、その本質は共有であり、踏み込んで言うと、ともに生きるということです。
 その基はキリストの十字架の恵みを共有していることからはじまり、初代教会では日々の生活の必要を共有しました。誰一人として自分の持ち物を自分のために握りしめることなく、喜んで皆のものだと差し出しました。さらに第二コリント8章を開くと、貧しいエルサレムの教会の信徒のためにギリシャの諸教会が援助したことが書かれています。聖徒たちを支える交わりの恵みに与りたいと自主的に喜んで献げたのです。
 受難節、「私の願いではなく、あなたのみこころのままになさってください」、と自らをお献げくださったキリストの恵みをともに共有し、また、喜び痛みを共有するために、自らをささげる歩みをともに築こうではありませんか。
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