「教会の使命III-パン裂き」使徒2:42

 交わりを指すコイノニアの意味には共有することにあるということを既に学びました。またこの語は同業組合、同好仲間などに使われることばでもありました。聖書で使われることばは、既存のことばに新たな意味を持たせる場合が少なくありません。教会の交わりの基礎はいったいどこにあるのでしょう。
 人が集まるところには食ありです。飲み食いによって人間関係を円滑にしようということは決して珍しいことではありません。この箇所、使徒の働きの最初の教会はユダヤ人だけの教会です。過越の祭り、つまり神の救いを記念する祭りと食事を行う習慣が形式的であれ根付いていました。一方、1コリント11章を開くと食事には不公平がありました。異邦人の習慣としての食事では酔っている者もあれば、空腹な者もいる。ゆとりのある豊かな者たちは先に食事をし、仕事から精一杯駆けつけたような人たちは空腹だったのでしょう。世間並みの集まりになり下がってしまった交わりをもう一度、キリストのもとに引き戻したのです。聖餐の恵みにともにあずることこそ教会のいのちだと教えているのです。
 その意味するところは何でしょうか。第一にそれは、キリストの身代わりの死によって罪贖われ、救われた恵みを表すものです。第二にそれは、一つのパンを分け合うことを通して、キリストのからだである教会の交わりがキリストの贖いのゆえにひとつであることを告白し、自分もその一部であることを確認するものです。その聖なる恵みに私たちは聖餐のたびに招かれているのです。これこそが教会に委ねられた使命の一つです。
 聖餐にあずかる度にそれを新たにしましょう。またこの交わりの恵みを伝える者とさせていただきましょう。そして、十字架の愛を輝かせる歩みをしようではありませんか。
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