「断食とお化粧」マタイ6:16-18

 私たちには断食の習慣はありませんが、聖書の中にはしばしば断食が祈りと組になって出てきます。「ネット断食効果あり」との新聞記事がありました。断食はいわばリセットです。大事なこととそうでないことの区別がわからなくなる。その中にいては見えないもの、それが止めて、離れて、分かるのです。私たちが日常的に「止める」のは、安息日です。それは休むというより、やめる、ストップするという意味を持っています。神のためにやめて、来し方・行き方を振り返り、見渡すのです。一切をやめて神の御前にでるのが安息日、私たちにとっては主の日です。

 私たちは心と体と霊を持っています。心は思いや気持ち、思考や考えを司るところ。体は文字通り肉体。そして霊は神に住んでいただく場所と言ってよいと思います。ローマ12:

1には、「霊的な礼拝」ということばがでてきますが、霊的とは、「理にかなった、筋の通った」ことを意味します。神のみこころにかなって、「ささげること」、それは神に差し出して、神のものとすることです。その場所を空けることが求められているのです。

 このマタイ6章の後半は、「何を着るか、何を食べるか」という体のことがでてきます。しかし、それは体だけにとどまらず、私たちの心と、また、私たちの霊に関わることです。だから、イエス様はそのような思い煩いから切り離して神の国を第一としなさいと教えられたのです。

 ところが、そんなところにさえ偽善が入り込んでくる。日常を捨てて神に奉仕するための断食、それすら人の目を気にし、評価を求めるものになってしまう。自分を飾る「お化粧」です。ただ、ひたすらに神の御前に自らやめて、ささげることこそが求められているのです。