「新しい天、新しい地」黙示録21:1-5,22:1-5

 世の終わりの裁きの後、神は新しい天・新しい地を備えておられます。今、私たちに知らされているのは、1コリント13章にあるように、「鏡にぼんやり映るもの」です。その栄光は今の私たちには語られてもすべてを理解することなどできません。約束して下さった主のご真実のゆえに信仰によって仰ぎ、待ち望むのです。

 その時、過去は「あとかたもなくなった」とあるように、すべて過ぎ去ります。地上の歩みには傷があります。決して消えることのないような怒りや憤り、必死で祈りつつも解決しない重荷、それらすべて、主ご自身がともにおられて、涙をぬぐい去って下さるのです。涙が止まらない子どもが、母の胸に飛び込んで、すべてを委ね安らぐような時です。

 そして、私たちのすべての交わりが回復します。アダムが罪を犯して以来、人はいちじくの葉で自分を覆い続けてきました。エペソ4:25には「偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです」とあります。そうありたいと願いながらも、いまだ、その罪と断絶の中で葛藤し、うめき続けています。しかし、その日、私たちは神の御前に、顔と顔とを合わせ、一つとなる喜びに満たされるのです。

 さらに、そこは光の世界です。やみは消え去り、王となる。王であるということは、すべてが自由であるということです。この世の王はその自由を自分のために使います。一方、そこでは神に仕えるのです。それは永遠から永遠に三位一体の神がもっておられた一致であり、愛です。喜びをもって心から仕えるのです。私たちの望みがここにあるのならば、それを仰ぎ見て励ましとし、地の上にも平和をと祈り、生きようではありませんか。

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