「時が良くても悪くても」2テモテ4:1-8

 CIMの始まりはハドソン・テーラー。中国奥地伝道のパイオニアとして用いられた彼から始まるスピリットは、人知に頼らずして主に頼り、主が一切の必要を備えてご自身の働きを導いてくださることを信じるフェイス・ミッションです。そこには「時が良くても悪くても」といういくつもの道がありました。

 中国宣教は1958年、彼らの宣教開始から85年、共産化するとともに門戸が閉じました。中国人への東アジア宣教に転進するCIMの視野に日本は入っていませんでした。しかし不思議な主の導き、あたかもアジアの伝道を閉ざされ、ビデニヤ・ポントの宣教を閉ざされてマケドニアに向かったパウロのように、日本への道が開かれたのです。一方、日本での伝道、FEGCの働きも含め、昭和30年前後、それは教会のない田舎伝道でした。天幕伝道などには大勢が集まったのです。

 しかし時代の変化は急速です。高度経済成長期、都市へ集中する人口流出、教会形成の経験のない宣教師たち。田舎伝道は教会形成に至らず、教会開拓は都市周辺部へと転進せざるを得ませんでした。その教会形成に至る道筋というのも簡単なことではありません。どれほど多くの涙が流されて教会の営みが続けられてきたことでしょう。

 このみことばはパウロから若い伝道者テモテに向けられた励ましですが、ここに三つのことを確認したいのです。第一のこと、私たちの務めはみことばを宣べ伝えることです。時がよいときもあるし悪いときもある。忍耐深い務めが委ねられているのです。第二に、人の心を動かすのは主の御霊のみわざです。私たちに必要なのは祈りです。第三に、私たちのゴールは義の栄冠、すべてを神に帰すのです。新年度を迎え、宣教師を迎え、ともに心に留めて前進を祈りましょう。

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