「最も大事なこと」1コリント15:3-8、後藤茂光師

 かつて「キリストの処女降誕はウソ。キリストの復活はウソ。始めと終りがウソだから真ん中もウソ。聖書の言っていることは全部ウソ」と言われたり、「まさか、あなたは真面目に、キリストが甦ったなどとは信じておられないでしょうね」と言われたりしたことがあります。神様について、聖書についてよくお知りにならない方が、こう言われるのは無理からぬことです。
 「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは…キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと」ですとパウロが語ったことは到底、信じ難いことであり、驚くべきことです。
 どの宗教も良いことをしなさいと教え、有難い御利益や幸せを約束しています。でも、どんなに立派そうな教えも、結構づくめの約束も、それを支え、その裏付けとなる事実を持っていなければ、それらは結局のところ、当てになりませんし、ほとんど無意味でありましょう。ここで聖書は、この出来事が、私たちに伝えられていることの中で、もっとも大事なことであると告げているのです。それは事実に基づいた信仰だからです。
 一度死ぬことは人として生まれたすべての人間に定まっていることです。死は遅かれ早かれ、必ず人間に訪れます。この死に対してどのような準備が出来るでしょうか。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」とイエスは言われました。よみがえりが事実であるからこそ、キリストの弟子たちは起ち上がり、世界の歴史は大きく変わりました。そして、あなたもそれを信じるなら確固たる確信をもって歩むことができるのです。
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