「本当の神頼みとは」1ペテロ1:20-21

 世の始まる前、永遠から永遠の中にキリストは三位一体の神でした。そのお方が、人となって世に降り、「終わりのとき」、いよいよ救いのご計画を成し遂げるこのとき、私たちのところに来てくださったのです。処女マリヤから赤ちゃんとして生まれ、育ち、そして、私たちと同じように試みに遭い、時に疲れ、空腹を覚え、涙する。人から拒まれ、誤解され、そして十字架でいのちを捨ててくださったのです。

 この手紙を書いたペテロを始めとする弟子たちはすべてを捨ててイエスに従いました。彼らの期待はイスラエルの再興でした。イエスのことばとわざに期待は高まります。しかし、死をも覚悟してイエスに従おうとした彼らの夢も期待もイエスの十字架とともに砕け散ってしまいました。

 しかし、イエスはよみがえられました。ペテロはイエスに新しい召命をいただきます。「あなたはわたしを愛しますか」、「私があなたを愛していることはあなたがご存じです」、「私の小羊を飼いなさい」。そのやりとりを三度繰り返してペテロは復活を大胆に証しする人に変えられました。それは復活が勝利だからです。

 だから、どんなことがあってもあきらめない。どんなことがあっても屈しない。それが私たちが抱いている信仰と希望。やがてキリストの現れのときに勝利と栄光が約束されている。でも、一方で今、地上の歩みには試みのときがある。不公平に思えるような悩みが尽きない。それを耐え忍んで、勝利の時を待ち望め。それが私たちに「このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです」(21節)と語られてることばの意味です。目の前に揺り動かされることなく勝利のキリストを仰ぎ見ようではありませんか。