「目には目、歯には歯でいいのか」マタイ5:38-39

 「目には目、歯には歯」、それは報復、復讐のことばとして知られています。聖書の中では、アブシャロムのストーリーがまさにそれです。腹違いの兄アムノンに妹タマルを犯された彼は復讐の機会を窺い、アムノンを殺します。父ダビデは愛憎に苦しみ、彼を遠ざけますが、彼は父を恨み、謀反を企てます。最終的にダビデの部下がアブシャロムを殺して結末を迎えますが、復讐の連鎖は不毛。それを私たちに教えます。

 同害報復と呼ばれるこの教えは、神の民でだけではなく世の法、ハムラビ法典などにもみられるもので、報復の連鎖を食い止めるために、せめてもの秩序を与えるものでした。ユダヤ人にとってそれはされた側の報復ではなく、害を与えた側の償いを教える一歩進んだ愛の教えでした。しかし、それは世のならわしと同じように言い古されてきたのです。

 イエスはそれを「あなたの右の頬を打つような者には,左の頬も向けなさい」、つまり徹底して赦せと教えるのです。それだけが争いの連鎖を止める唯一の方法だからです。それは、山上の説教の始め、「心の貧しい者」から始まり、「平和を造る者」に終わる教えの上に立っています。自分の力で押さえることのできない恨み、憎しみ。それは神の助けなくして乗り越えられません。一歩づつ進んで平和を造る者になるのです。

 それはイエスの歩みそのものです。「あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うように…ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました…」(1ペテロ2:21-23)神に委ね、十字架の足跡に従うことだけが、私たちに赦しと平和の道に進ませる唯一の道なのです。足跡に従うことを選ばせてくださいと祈りましょう。