「祈りに生きる」エペソ6:10-20

 新しい年を迎えました。思い新しくしても毎年同じところを回っているようにも思える私たちの歩み。しかし、それは天の都を目指すバニヤンの天路歴程のよう。螺旋階段のように回っているだけはなく、天に向かって前進しているのです。

 パウロはこの書でキリスト者の向かう目標を教えてきました。それは、キリストの満ち満ちた身丈に満たされること。そして、それにふさわしい生き方をすることです。そのように願う者にどうしても言わなければならないことがある。わきまえておかなければならないことがある。「おわりに」と語るのは、私たちの戦いは血肉の目に見えることだけではなく、悪魔の策略に対する戦いだということです。実に巧妙に私たちを神から遠ざけて暗やみに引きずり込もうと狙っているのです。私たちは後悔や恐れ、感情に左右され、試みや懲らしめに意気消沈し、善きことを行うに力をそがれます。

 それに勝利するためには、神のすべての武具をとれと語った後、どんなときにも祈れと言うのです。「絶えず目をさましていて」と聞いて思い起こすのはゲッセマネでの祈り。イエスが苦しみもだえながら自分を捨てる祈りの格闘をしている間、弟子たちは眠ってしまったからです。私たちは弱いのです。だから、加えて語られるのは「御霊によって」です。御霊はヨハネ14章では助け主、パラクレートス。傍らに呼ばれた者という意味です。私たちを主に向かわせ、みことばを思い起こさせ、祈りに導かれるのです。

 私たちが祈るべきこと。それは己の前進、すべての聖徒たちへのとりなし、そして宣教の前進です。新しい一年、様々なことが起こることでしょう。いつも祈りに生き、一歩でも神の都に近づく歩みをしましょう。