「神に仕える喜び」ルカ2:36-38

私たち誰にも老いはきます。必ずやってきます。今日は、アンナに目を留め、私たちのいのちの励ましとしたいと思います。
アンナ、その名は「恵み」の意です。84歳という非常な高齢でした。「アシェル族のペヌエルの娘」とあります。ヤコブの妻レアの女奴隷ハガルからアシュルは始まります。その名の意味は「幸せ」。しかし、失われたイスラエルと呼ばれるように神から離れ、絶たれた部族の一つです。しかし、ヒゼキヤがユダの王であったとき、信仰復興の改革がなされます。それは北王国にも呼びかけられました。そのとき、呼びかけに応じた中にアシュル族がいました。また、ペヌエルとはヤボクの渡しでヤコブが神と格闘して祝福をいただいた場所の名です。そのような恵みを受け継いだのがアンナなのです。
ところが、彼女の歩みは若い日の夢や希望、期待かなわず、わずか7年の結婚生活の後、やもめとなります。旧約聖書にはそのような人たちの人生がたくさん出てきます。そして、私たちも同じです。こんなはずじゃなかった。そう思うこともままあることでしょう。その中で、どう生きるかが問われているのです。
彼女は「彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた。」のです。すべての時を神に仕える生き方をしてきたということを意味します。「何をするかより、どのように仕えるのか」、喜んで仕える使命に生きることこそが求められています。アンナもその名前の通り、恵みの器として、主に仕え、隣人に仕える生活を生涯通してしてきた。そのような人であったことでしょう。
私たちが恵みの器になるということは、受けることよりも与えることです。彼女はこの救い主の恵みを語り伝えたのです。人生の最期、決してなくならないもの、主にある救いと希望、これを語り残す永遠に残る神の恵みを伝える使命を彼女のように私たちも果たすいのちをともに生きようではありませんか。