「神のみこころ、神の思い」マタイ6:9-10

 祈り、それは「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です」(1ヨハネ5:14)とのみことばのように、私たちが神のみこころに沿った者に造り変えられることを祈るものです。

 神のみこころ、それは共に生きることを通して次第に身に着けていくものです。もちろんそれに従うと胸を張って言うようなものではありません。復活のイエスにお会いしたペテロはイエスに尋ねられます。「あなたは私を愛しますか。」ペテロは「私があなたを愛することは、あなたがご存知です」としか言えませんでした。そう言うことで精一杯。だからこその祈りなのです。

 また、神のみこころ、それは聖書を通してはっきりしています。十戒に表された神の基準、それがみこころです。私たちが迷うの人生の選択です。創世記のはじめに、神は「人が一人でいるのはよくない。彼にふさわしい助け手を造ろう」と女を造られました。ですから、原則的に結婚することは神のみこころです。一方、主のためにささげるべく独身でいることもまたみこころです。

 何を食べるかと日常的に祈る人はいないでしょう。「すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とは限りません。特を高めるとは限りません。・・・ただ、神に栄光を表すためにしなさい。」(1コリント10章)とあるように、そのみこころを知り、それにふさわしく決断し、自らをささげることこそ神のみこころなのです。

 私たちにはゴールがあります。天、完全にみこころが行われるところにやがて入れられるのです。そのゴールに向けて、地上でも生きること。みこころにかなう歩みを祈り求めること。それがこの祈りなのです。