「神の国とその義」マタイ6:25-34

 二つの問いかけを聞いてきました。あなたの宝は何ですかという問いと、心配ごとに揺さぶられていませんかという問いです。何を第一にするのか、何を支えとするのか。それはすべてを知っておられる神の他ない。「だから」と一連の教えをまとめたのが、この「神の国とその義をまず第一に求めなさい」という教えです。

 国には、主権と国民と領土という3つの要素があります。神の国、その主権は神ご自身にあります。イエス様の伝道のはじめ、それは神の国の表れでした。病がいやされ、悪霊が追い出され、食を与え、風や湖までも従わされる。そして、死に打ち勝ちよみがえられました。そして、「天においても地においてもいっさいの権威をもっています」と言われるのです。それを信じる者は誰でもその国民です。さらに、神の国は信じる者が生きる場書、どこにあってもそこが神の国になる。それはその主権、権威に委ね生きることです。

 その義。それは私たちがきよくなること、神に似る者になることを求めることです。ガラテヤ5章では、私たちは常に肉か御霊か二つを迫られていると教えられています。肉は、私たちの生まれながらの性質は御霊に逆らいますが、御霊に導かれるなら、その結ぶ実は「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制。」まさに、神の国の賜物です。

 これを求め、神とともに生きる者に神は日ごとに必要を備えてくださる。だから、明日のための心配はいらない。今日という日、生かされ、与えられた一日一日を生きることに一生懸命、それでいい。そのエッセンスは一連の山上の説教で一緒に語られた主の祈りにあります。その祈りをもって神の国を第一としようではありませんか。