「神の国に生きる」マタイ6:25-34

 国は何の役割があるのでしょう。一つは「秩序の維持」、ケンカをしない・止める・しないようにする。もう一つは「富の再分配」、みんなからお金を集めて、困った人がいないようにする。みんなが安心して暮らせるようにすることです。残念ながら、そうならずに、国を捨てなければならない人もいます。難民と呼ばれる人たちです。

 イエス様は、私たちに心配しないようにと言い、「主の祈り」では「日ごとの糧を今日もお与えください」と教えました。それは、食べ物だけではなく、着るもの、住まい、畑や仕事、家族の和、政府、気候、健康や病院、学校、友達、隣人など、私たちの周りに生きるに必要なすべてのことです。空の鳥、野の花を養ってくださるように神さまは私たちにも約束くださっているのです。

 まず、求めるべきことは神の国と神の義です。国には3つの条件があります。第一にに主権。イエス様は地上に来られたとき、病をいやし、悪霊を追い出し、二匹の魚と五つのパンで五千人を養い、嵐をも鎮めるお方。死に打ち勝ってよみがえったときに、「わたしには天においても地においても、いっさいの権威が与えられています」と言いました。ここに力があるのです。第二に国民、その権威を信じる者は誰でも、神の国の国民になれるのです。第三に領土、信じる人はどこでも、誰でも地上の国や場所など関係ありません。男も女も年齢も国籍も民族も関係ありません。それを超えた神の国なのです。

 そして、もう一つ求められているのは、神の義。それは聖い生活、御霊の実を結ぶ歩みをすることです。それは、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」。

 この二つさえあれば、あとは何もいらない。何と幸いなことでしょうか。子どもたちに、これを祈り、大人もよき模範としてともに神の国を生きましょう。