「神の国の成長」マルコ4:26-34

 読み飛ばした9-12節には、神の国の奥義について教えられています。それは隠されたもの、秘密という意味合いを持っています。何がそれを隠しているかというと、それは人の頑なさです。引用されている申命記29-30章には、荒野の40年の後、カナンに入ろうとするイスラエルへのチャレンジが記録されています。その試みを経て学んだこと、それを思い起こし、今、ここに問われていることを心に留めよというメッセージです。

 人は、ことがうまく行っていると高慢になり、神のご支配を受け入れ、委ねるということができません。辛い経験、悲しい経験、失敗する経験、痛い経験、そのようなことをして、あぁ、あわれみによって、恵みによって生かされている。そう心から思えるとき、初めて神の支配に明け渡し、奥義を知ることができるのです。あなたはどうでしょうか。

 成長する種のたとえ、それは一言でいうならば、神の国は目には見えなくとも、確実に前進し、成長しているということです。神の国の種はあなたの中に蒔かれています。自分で何かを生み出すことを意識しなくても、置かれた場所で、成長して実を結ばせてくださるのです。なんと、光栄なことでしょうか。

 続くからし種のたとえ、これは、蒔かれる種はどんなに小さくても大きく成長させてくださるというたとえです。修養会で、「みんなが用いられて喜ぶ神の国を作る」ということを学びました。どんな働きもはじめはたった一人の小さな働きから始まります。それが多くの人を巻き込み、大きなムーブメントへ発展し、世界を変える力になりました。私に私たちに何ができるかと思う思いがあるかもしれません。それはときに前進が見えないようなときがあるかもしれません。それでも確実に前進しているのです。今ここにある神の国、神のご支配に委ねて、その前進のために自らを砕いて献げようではありませんか。