「神はひとり子をお与えになった」ヨハネ3:16

 聖書が語りかける主語はいつも「神は」です。そして、神は私たちのところにおられます。残念なことに私たち人間にはそれがなかなか見えません。神が人となって来られた。それは、いまだかつて聞いたことがなく、受け止めることすら難しいことです。しかし、神にとってはご計画の時。マリヤもヨセフと羊飼いも東方の博士たちもそれを受け止め、神のみわざを喜び迎えました。

 一方、拒絶をしたのはヘロデです。彼は治めることが難しいこの地で大王と呼ばれる栄誉を手に入れました。そのためには側近ですら平気で、あるいは幼児虐殺ということまでします。それは、決してヘロデだけのことではありません。私たち人間というもの、自分が自分の人生の王でいたい。自分の思い通りをしたいという思いがあるのです。そのために、人は噛みつき、傷つけあって滅び行く世が私たちの生きるところです。

 神はその滅び行く世界に救いを与えようとひとり子を送ってくださいました。父なる神はひとり子キリストを十字架の贖いのためにこそ与えられたのです。それは、御子を信じる者が、自らを王として自分の思い通りを生きようとするその滅びのいのちから、身代わりの死を通して赦され、新しいいのちを生きるように招いてくださっているということです。それほどまでに、神は私たちを愛しておられるのです。

 この破れだらけの世界、それが「当たり前」のように、自分のいのちを生きていたとしたら、なんとももったいないことでしょうか。もっと素晴らしい恵みの世界がすぐ隣にあるのです。クリスマス、それは神がひとり子を私の救いのために世に送ってくださった日。それを受け入れて新しいいのちを日々生きようではありませんか。