「罪の連鎖の中にいる私たち」ローマ5:12

 ややこしや、ややこしや…私たちの世界はどうしようもなく複雑です。その原因は常に罪です。私たちはそのがんじがらめの連鎖の中に置かれ、解きほぐせずにもがきます。罪の本質とは、神を神として人がわきまえる分を捨て、「私」が「思い通りにしたい」とする思いだと学びました。その結果、罪と死に支配された世界は、1章に書かれているあらゆる混乱です。人はまらない人間をまとめようとバベルの塔のように偶像をつくります。それを旗頭にしますが、結果は格差と争いです。性は混乱し、祝福や喜びを奪います。互いの間の心が冷え、ギスギスした人間関係に悩み、ややこしや、ややこしやの世界から脱することができません。

 パウロは全人類が罪を犯したからだと割って語ります。罪について3つのとらえ方があります。第一は人は生まれたときには罪がない。いわゆる性善説で4世紀のペラギウスが説きました。成長の過程で身につけたものならば、無垢に育てることもできる、あるいは努力によって克服することもできましょう。21世紀を迎えたとき、ミレニアムに湧きましたが、すぐに9.11で楽観論は崩壊しました。第二は堕落もしているが善なるものも残っている。恵みも必要ですが、半分は努力です。同じように人は罪の根を食い止めることができません。努力では決して克服できないのです。第三は原罪をもって生まれ、全く堕落していると人の現実を認める道です。

 アメージング・グレースを書いたジョン・ニュートンは奴隷船の船長です。嵐の中、転覆しかけた船の中で初めて心からの祈りをささげました。やがて船を下りた彼は、ただただ「驚くばかりの恵みなりき」と歌ったのです。罪の中に溺れている私たちは、ただただ恵みによってのみ救われるのです。

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