「罪人を招くために」マルコ2:13-17

 イエスの時代、この地はローマの支配下にある属州にされていました。ローマは1/10税を属州に課しましたが、その徴税は徴税請負人たちに任せました。その税に加えて属州のための税、それに請負人の「経費」、つまり不正な取り立てによって財をなしたのが取税人です。厳しい生活を強いられた民衆からすると、「カネ」に魂を売った貪欲な罪人が取税人でした。

 カリラヤとピリポの領土の境にあっての収税所、通行税なり関税なりを取り立てていたレビに主イエスは声をかけます。「私についてきなさい。」それは最初の弟子たちと同じです。レビも立ち上がって、迷いなく従います。そして、取税人や罪人とともに主イエスを招いてともに交わりをするのです。

 この出来事が伝えるのは、レビが従ったこともさることながら、「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」というパリサイ派の律法学者のつぶやきです。彼らは、律法を守るきよい生き方をしている正しい人だという自負を持った人たちです。人は絶対的なお方の前に自らの生き方を問わない限り、常に相対的に比較の中にしか生きることができなません。彼らのつぶやきは、それを際立たせます。

 イエスの招き、そのことばが向けられているのは、私たちすべてにです。神の御前には誰もが病人であり罪人。神のみもとに来る者は神の御前に比較から解放され、ただ一つ、神の御前にどうなのかということだけが、物事を判断する基準になります。いまだ、人と比べ、あるいは人をさばくような世界を生きてはいませんか。主イエスから目を離すと私たちはすぐに元の世界に戻ってしまします。この招きのことばから離れないで、歩もうではありませんか。