「聖書の教える結婚」創世記1:26,27,2:18-25

 オスとメスではなく、男と女。人は結婚を制度だと考え、そのあり方は時代とともに変わってきました。ごく最近まで女性の立場は低く、同等とは考えられていませんでした。改めて聖書が教える性と結婚についてみことばに聞きましょう。

 創世記の1章では神が人を最初から男と女に創造=デザインされたことが書かれています。一方、2章ではアダムが先に造られ、動物や鳥などに名前をつけさせたが、ふさわしい助け手がみつからなかったと記されています。名付けるという作業は自分との関係を定義づける大切な作業です。しかし、どんなものをもってしても代えることができず、埋めることができないのは、男女がペアで一つとなるように作られたからです。

 助け手は助手とは違います。多くの女性は「私はあなたの何なのか」という胸のつっかかりを持っています。助手であることをしばしば夫たちが求めるからです。助け手とは不足と欠けを満たす神の賜りものです。「女はアダムの脇腹から作られた。アダムを牛耳るべく彼の頭から造られなかった。さりとて彼に踏みつけられるようにと足から造られたのでもなかった。そうではなくて、彼の胸から造られた。それは、彼と同等のものとして、また、彼の腕によってかばわれ、愛されるように」と古くから言われてきました。

 エバが連れて来られたときに、アダムは「これは私の骨からの骨、肉からの肉」と歓喜しました。今、私の妻は片手骨折しています。妻の手が片手になったのか、私の一部として4本の手が3本になったのか、それは大きな違いです。二人が一つになる。それは相補い合って一つになることを喜び、また三位一体の神が一つである、その御栄えを表すようにと神は結婚を備えられたのです。

録音データを聞く