「聖霊の約束とイエスの昇天」使徒1:1-9


 復活の主イエスに弟子たちは「いつ国を再興してくださるのですか」と問いかけます。彼らの期待はいわば「私の救い、私たちの救い」というレベルです。イエスの答えは目に見えるこの世の国の再興ではなく、聖霊の御力によって「地の果てまで私の証人となる」という彼らに対するご計画でした。
 聖霊がなす第一のことは、人に罪を認めさせ、イエスの十字架と復活による救いに導く新生のみわざです。第二のことは、救われた者をキリストに似る者に造り変える聖化のみわざです。御霊の実を結ぶようにみことばを思い起こさせ、決断を促すのです。この二つのみわざは通常のみわざです。
 一方で、聖霊のバプテスマは特別なみわざです。水のバプテスマはヨハネのバプテスマから続く、通常のみわざによって新生した告白のしるしとして人がなすことですが、聖霊のバプテスマは神の側から与えられるものです。その現れがペンテコステの出来事です。あるいは使徒4章の聖霊に満たされ、その場所が震えて、証しをし始めた出来事であり、サマリヤ人に救いを与えたしるしであり、コルネリオの出来事では、異邦人の救いのしるしです。神がいわば確証、証印を与え、力に満たして、世に証しさせるのです。
 教会の歴史の中にはしばしば信仰復興、リバイバルとして神がそのような時を与えてくださいました。旧約聖書の中には士師の時代のように霊的不毛の時代に人の努力や願いによってではなくして、神ご自身のみわざとして士師を奮い立たせてことをなしくてださったことを私たちは知っています。
 私たちは努力が足りないと自分や人を責めるのではなくして、へりくだって、神が力をもってことをなしてくださることを期待し祈るべきです。主は力をお持ちなのですから。