「自分を捨てる闘い」マルコ14:32-42

「自分を捨てる闘い」マルコ14:32-42
 ゲッセマネの祈り。イエス様が十字架へと向かう最大のヤマ場であり、最大の闘いの場です。この先、イエス様には、一つの迷いもぶれもありません。それは、このゲッセマネの祈りでの闘い、それに勝利したからです。
 聖書の中には、大きく3つの誘惑と闘いが記されています。それは、神とともに、愛に生きる闘いです。第一コリントの13章は愛の章です。「愛は寛容です。愛は親切です」から始まる愛に生きるということは、「わたしよりもあなた」という原理に生きることです。一方、罪はいつも「あなたよりもわたし、自分の思い通りに」という原理が働きます。
第一の誘惑、それはアダムとエバの誘惑です。第二の誘惑、それは、イエス様の荒野の誘惑です。第三の誘惑、それがゲッセマネの祈りです。ここでイエス様は祈られます。「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。」一方で、もう一つの祈りをします。「しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」この祈りは自分の思いを捨て、自分のからだを捨て、すべてを献げて愛を全うすることへの闘いです。それに勝利したのです。
 ところがその間、弟子たちは眠ってしまいます。とりわけペテロを「シモン」と呼んでいます。古い名です。古い人は目を覚ましていられなかったことを心に刻みつけられたのではないかと思うのです。イエス様のこの愛の闘いの意味など何一つわからず、眠りこけてしまったからです。一方で、新しい人ペテロは、十字架のイエス様の死と復活のすべてを見て、目が覚めました。そして、他の使徒たちと共に、目を覚まして、キリストの証人として立っていったのです。
 私たちも新しい人として思いを新たにしたいと思います。目を覚まして、主の足跡に従う歩みを祈りましょう。