「逃げても逃げてもついてくる」第1列王記19章1〜18節

<昭和町キリスト教会 福田和広師>

 エリヤは神様から使命を頂いてアハブ王と対決しました。エリヤは勝利し、イスラエルの民は主こそ神であると応答しました。ところがそのことがアハブ王の妻イゼベルに知れたとき、イゼベルはエリヤを殺すと宣言するのです。

 するとエリヤは命の危機を感じて逃げました。でもあるところまで逃げたら神様の前に嘆くのです。もう十分です。殺してくれと。これはバーンアウトしたと言えるでしょう。あれほどの敵の前でも堂々としていたのに、今は立つことができない。立ち向かう力がないのです。アハブ対決という使命を終えて、次の使命を失ってしまったのです。だから逃げてきたし、心も逃げているのです。でも神様は彼に食事を与えて元気づけるのです。そして、声をかけ交わり、ご自身の栄光、力を見せるのです。そうして励ましと共に新たな使命を与えられました。

 他にもアブラハム(創13:1-20)やヤコブ(創28:1-5)、モーセ(出2:11-15)やイエスの弟子たち(マタイ26:56)も逃げました。何よりも最初の人アダム(創3:1-21)は神様からも自分の責任からも逃げました。でもいずれも神様は彼らとともにあり彼らを整え助けていることを聖書は明らかにしています。

 神様は逃げない力を与えてくださいます。でも、わかっていても逃げちゃう時もあります。その時、ぼくたちが逃げても神様はどこまでもついてくるのです。逃げている途中もいるのです。そして、その逃げてしまっている思いをくみ取り、あなたを守り、励まし、回復し、使命とそれを実行する力も新たに与えてくださるのです。

 「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。(詩23:6)」