「遺言、遺していくべきもの」第一列王2:1-10

 信仰の人ダビデが最期、死期が近づいたときに息子ソロモンに語った遺言、遺すべきことばがこの箇所です。一介の羊飼いの少年であったダビデがイスラエルの敵であったペリシテ人、その巨人ゴリアテを倒すところから始まります。時の王に抜擢されながらも妬まれ、息子に謀反を起こされ、もう一度この国を安定して死を迎えるという波乱万丈な生涯でした。
 ダビデの時代も、今も、私たちひとりひとりの人生もまた、様々、嬉しいこと、悲しいこと、苦しいこと、苦い経験、楽しかったこと、笑みだったこと、様々なことが人生に起こります。そういう中で、ダビデが人生の最期に遺していくべきこととして語ったことば、私たちが語り遺していくべきこと、それは同時に、いのちをどう生き、何を大切にしてきたのかということです。
 主の道を歩むならば、「何をしても、どこへ向かっても、栄える」。それがダビデの遺言ですが、実際には様々なことが起こります。困難や危機が訪れます。ですから、栄えるとは、この世の成功ということではありません。「神と共にいる幸い、安心、祝福」ということです。
 また、彼は具体的なことを3つ遺します。ダビデの生涯、多くの出来事がありましたが、3つの限られたことだけです。それは、「取り除くべきこと、大切にすべきこと、関わらざること」です。ヨアブがしたこと、それは神の導きから逸れ、自らの力に頼ることです。バルジライのしたこと、それは「困った者に恵みを施し、見返りなく与えること」そのような人たちとよい交わりを築くことです。シムイのしたこと、それはいいときには、良い顔をし、悪い時には裏切る。右に左に流され、一貫性ない。こういう者に気を付けて、関わるなということです。「主のおしえを喜びとし 昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。」(詩篇1篇)にある歩みを大切にし、遺していきましょう。