あくまで主に信頼する

 今、祈祷会では第二列王記を一章づつ読み進めています。イスラエルとユダという分裂王国時代の王の中には中途半端な歩みをする王がでてきます。イスラエルの王ヨアシュ(第二列王13章)もその一人でした。イスラエルは先代エホアハズの時代に騎兵50、戦車10台、歩兵一万という国を守るには全く心許ない状態になっていました。なお、隣国アラムに攻められて空前のともしびです。
 「彼は主の目の前に悪を行い・・・ヤロブアムすべての罪から離れず、なおそれを行い続けた」一方で、預言者エリヤが死にかけていると聞くや、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と泣き伏して頼るのです。主を頼りとして預言者に聞くのか、あるいは主の目の前に悪を行い続けるのか、二つに一つではなく、なんともはっきりしない、どっちつかずの歩みをするのです。
 エリシャは彼に矢を東側の窓から射るように命じます。その矢はアラムに対する勝利の矢を象徴するものでした。次に彼は矢で地面を打つように命じます。ヨアシュ王は三回打って止めます。それに対してエリシャは「五回、六回、打つべきだった」と言うのです。そして主の助けもまたそれなりです。三回打つことは簡単です。言われたままやればいいからです。しかし、五回、六回打つのは容易ではありません。なぜを問い、意味を考えなければできない数だからです。
 私たちの信仰生活も同じです。言われたままではなく、自ら信仰をもって、あくまで主に信頼して求め続けることが大切です。三回で止めてしまうでしょうか。それとも続けるでしょうか。主イエスの「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイ7:7)というみことばを心に留めて、求め続けましょう。