いっぽいっぽ進めば

 何年か越しで冬の八ヶ岳、主峰の赤岳に登ってきました。最後の冬山に登ったのはもう、28年も前のことです。実は3年前に登ろうと、錆び付いた登山靴の手入れをし、湯村山を登ってトレーニングをしていたのです。ところがあの豪雪でそれどころではなくなり、一気に気持ちが萎えてしまったのです。

 今年は年齢も大台に乗り、このまま行かなければずっと行けないような気持ちになり、1月から湯村山と愛宕山に週3回ほどトレーニングを重ねました。深夜の2時半起き、歩き始めたのが4時。月明かりの森の中、延々と歩きます。幸いなことに寒いには寒いのですが、風は微風程度。体感温度を一気に下げる風がなければ、マイナス20度の世界も動いていれば寒くはありません。吐息でメガネが曇るのが煩わしい程度です。

 それにしても、衰えたカラダに頂上は遠く、とにかく、一歩、また一歩と繰り返して歩くのみです。その一歩は気持ちによってずいぶん違うものです。歩き始めの一歩はまだ心も軽やかです。しかし、まだまだ先が長く、延々進まないように感じる一歩はつらいところ。道に迷えば、さらにその一歩は徒労に終わるような暗澹たる気持ちになります。また、もう半分まで来たと進みがわかれば一歩は違いますし、ゴール直前の一歩はこれまたもうすぐつらい思いが報われると思うと俄然力が入ります。同じ一歩であっても、心の持ちようでカラダの疲労とは別のところにその一歩はあるのです。

 しかし、どの一歩であっても、確実にゴールに近づいていることには変わりはありません。ゴールがあるからこそ、一歩一歩進んでいけます。あなたの信仰のゴール、人生のゴールはどこでしょうか。どこを目指していますか。どこまで進んでいますか。どの一歩も大切な一歩であることを忘れないで。