きよく汚れのない宗教

 安部元首相の銃撃事件後から旧統一教会問題がメディアを賑わしています。長らく触れてこなかった問題が急浮上したのは、政治との結びつきです。票田としての宗教団体、その団体が何やら怪しい。関係はどうだというところから始まって今、解散命令請求を巡って「質問権」の行使に関わることが取り沙汰されています。
 宗教法人は宗教団体に法人格を与えて、財産の保護管理などを行うための世俗的側面を持っているものです。税制上、収益事業を行わない限りは免税という特権も付与されています。それは信教の自由に基づく精神的・宗教信仰的なものとは関係がありません。今まで宗教法人解散命令が出たのは、オウム真理教がサリン製造による計画的・組織的な殺人という不法行為に対するものと、霊視商法詐欺事件を起こした明覚寺に対するものの2例しかありません。
 旧統一教会では、正体を隠した違法な布教活動、献金強要、霊感商法詐欺などついてすでに多くの裁判と判例があり、それらをして調査が行われていくことでしょう。解散命令がでると宗教施設を含む不動産などの財産が処分されるため、宗教団体としての活動がしにくくなります。宗教法人は内部の実態調査は信教の自由をもとに守られているため、様々な脱法や違法行為の隠れ蓑にされるようなことも中にはあるのが実態です。
 父である神の御前できよく汚れのない宗教とは、孤児ややもめたちが困っているときに世話をし、この世の汚れに染まらないよう自分を守ることです。(ヤコブ1:27)
 これが本来の宗教・信仰のあり方です。しかしどうでしょう。旧約聖書の民がここから逸れたように、あるいは初代教会の中にもそこから逸れた者たちがいたように、人は罪ゆえに逸れやすい。自らを戒めて、主イエス様から目を離さないで、きよく汚れのない信仰者として歩もうではありませんか。